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吉田松陰と金子重輔が密航を試みた弁天島の横にある公園に建てられている
吉田松陰と金子重輔の像。題は「踏海の朝」。

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昭和17年に三島神社内に建立された吉田松陰の石像。
下田の海を雄々しく見つめる。

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西郷隆盛が安政の大獄による幕府からの追及を逃れるため
奄美大島で謫居(流罪地で潜み住むこと)した場所。
木造家屋が復元され、自筆の書、枕などとともに公開されている。
(家の柱などは当時のままだという)
ここで暮らした3年の間に、西郷は愛加那(龍愛子)と結ばれ、息子・菊次郎と娘・菊草をもうけたが、
召還命令が下ると、妻子を残して島を離れた。

その後、菊次郎は鹿児島の西郷本家に引き取られ、西南戦争に参加するなどしたが
西南の役後は外務省に入り、米国公使館や本省で勤務。京都市長などの任にも就いた。

娘の菊子は、後に西郷隆盛のいとこにあたる大山巌(元帥陸軍大将)の弟の妻となっている。

愛加那はその生涯を奄美で過ごしている。
3番目の画像は愛加那さんのお墓。

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安政6年(1859年)、西郷隆盛が奄美大島に島流しとなり、
西郷を乗せた船が上陸した場所。
1本の琉球松の幹に船の綱を結んだといい、
それ以後、この琉球松は西郷松と呼ばれるようになった。


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密航の乗艦を拒否された松陰と金子重輔が送り返され上陸した場所(福浦海岸)。
ハリスの小径をそのまま15分ほど歩くと吉田松陰上陸の碑に突き当たる。

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西暦1854年4月24日の夜、
吉田松陰と金子重輔が密航をしようと身を隠し、小舟を漕ぎ出した弁天島。
弁天島にある吉田松陰の七生説の碑・金子重之助の顕彰碑と弁天社。
弁天島は現在陸続きになっている。


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航に失敗し自首した吉田松陰と金子重輔が、下田奉行所の命により拘禁された宝光院長命寺の跡地。
現在、長命寺は廃寺となっており、同地には下田市立中央公民館が建っている。

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密航しようと下田に来た吉田松陰・金子重輔の二人がはじめに宿をとった旅館・岡村屋跡。
「下田屋旅館」という名で現在も営業している。

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静岡・蓮台寺温泉にある旧・村山行馬郎邸。
密航しようと下田に行った吉田松陰が、疥癬(かいせん)という皮膚病の湯治の為に訪れた
蓮台寺温泉で、数日間身を寄せた場所(医師であった村山行馬郎に匿われた)。
当時のままの姿を残しており、静岡県指定史跡「吉田松陰寓寄処」として公開されている。
松陰を匿った部屋や、松陰が使用した机や硯(すずり)なども展示されている必見の松陰スポット。
下田での吉田松陰・金子重輔の足跡なども細かく解説してもらえる。

一番下の画像は、吉田松陰が治療のために初めに訪れた蓮台寺の共同湯。
村人しか入浴してはいけない共同湯に夜中に入浴している松陰を発見した
付近の医者・村山行馬郎は、その後、松陰を自邸に呼び入れ、匿った。


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初代米国総領事・ハリスが散歩したという「ハリスの小径」。
そこからの見た下田の海。

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