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士規七則 彦介の元服に贈る

書物を開いて読めば、素晴らしい言葉の数々は、躍動して人に迫ってくる。しかし、今の人々は書を読まず読んだとしてもそれを実行をしない。 もし本当に書物を読んで実行するならば、千年万年と時間をかけようと行いつくすことはできないはずである。 ああ、私はこれ以上、何を言うべきことがあろうか。何も言う必要はない。 そうは言っても、良き教えを知って、これを人に言わないでおくことができないのは、人の情というものである。 だから古人はこれを古(いにしへ)に述べ、私は今これを述べる。また、どうして悩むことがあろうか。そこでここに、士規七則を作る。

一、およそこの世に生を受けて人となったからには、人が禽獣(きんじゅう)と異なるゆえんを知らなければならない。思うに人には五倫(儒教でいう人として守るべき五つの道「君臣の義」「父子の親」「夫婦の別」「長幼の序」「朋友の信」)がある。そのうち君臣の義、父子の親が最も大切である。だから人の人であるいわれは忠と孝を基本とする。

一、およそ皇国(日本)に生まれたからには、我が国が世界各国より尊ばれる理由を知っていなければならない。思うに、皇室は万世一系であり、武士は代々禄を受け地位を継いでいる。君主は人民を養い、先祖の開かれた道を継がれ、臣民は君主に忠義を尽くし、もって父親の志を継いでいる。君と臣の一体、忠と孝の一致、これは我が国だけがそうなのである。

一、士の道は、義より大切なものはない。義は勇気を持つことによって実行され、勇気は義に基づくことによってよって更に沸くものである。

一、士たる者の行動は真面目で、自分の心をあざむかないことが肝要である。いつわりに巧みであったり、あやまちをごまかすことを恥とする。公正で私心がなく正しく堂々とした態度は、みなここから生ずるものなのである。

一、人たる者で、現在および昔のことを学ばず、また心ある立派な聖人や賢者を師とせず、自己の修業をおこたるようでは、心のいやしい狭量な男となってしまうだけである。読書や賢人を友とするのは立派な人のなすべきことである。

一、徳を厚くし才能を磨くには、師の恩や友人からの益によるところが大きい。それゆえに立派な人はつまらない人との交際を慎重にする。

一、死してのちやむの四字(死而後己:死ぬまでやり続ける)は、言葉は簡単であるがその意味は広いものがある。意志が固く我慢強く、果断に実行し、断固として心を変えないのは、この死してのちやむの精神をほかにしては道がないのである。

右の士規七則は、これを要約すれば三つになる。すなわち、「志を立てて万事の源とする。交友を選んで正しい生き方の助けとする。書物を読んで聖賢の教えを考え究める」ことである。武士として、まことにこの三つのことを修め得ることができれば、人格・教養の備わった立派な人ということができよう。

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