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2013.02.22
草莽崛起論 現代語訳 (吉田松陰から北山安世への手紙)
幽囚中の身であるため、当て推量の議論でありますから、はがゆい所も多いと思います。しかしながら、天下の情勢は大体予測することができます。実際、我が国の滅亡を思えば、心が痛み悲しみの極地であります。幕府にはいまだに人物がおりません。些細なことはそれなりに処理できますが、天下国家全体を見極めて、大きく戦略を展開できる人物がいないのです。西欧諸国を制し、思うままに動かす策などなく、逆に着々と彼らに制せされている状況です。ペリー艦隊が来航した嘉永六年、安政元年よりすでに六、七年が過ぎました。しかし現在に至るも、一人の青年の海外渡航さえ全く行われておりません。ワシントンがどこにあるのか、ロンドンがどのような場所にあるか全く想像しているだけであります。このようなことでどうして西欧諸国を制し、思うままに動かすことなどできましょうか。できはしません。
しかし、幕府の役人というものは、みな何の不自由もない生活に慣れたものを知らない馬鹿者や柔軟者の子弟のみであります。ですから、一人二人の心ある立派な人物がいたとしても、周囲がつまらない人物ばかりですので何もできないでありましょう。これを思えば、中国の東晋、南朝や趙、宋(すべて中国の王朝)らが国家を再建することができなかったことも時勢だったのでありましょう。ましてや徳川幕府に出来るわけはありません。幕府が存在するうちは、どこまで米国、ロシア、英国、フランスらに思うままにされるか予測することさえ難しいことであります。誠にため息ばかりです。
しかし、幸い我が国には上に心ある立派な天皇がおられます。天皇は現状に深く心を悩まされておられます。しかし、天皇を取り巻く朝廷の公家たちにはまるでシミ(衣服や書物などを食べる昆虫のこと)のように、徐々にものをそこない破る悪しき習慣があり、それは幕府の役人たちより激しいものがあります。彼らはただ外国人を我が国に近づけては、神州が汚れるというばかりです。古代の我が朝廷の雄々しく、奥深い戦略などは少しもお考えになりません。物事が上手くいかないのもこれが原因であります。諸大名にいたっては、将軍の意向を伺っているのみで何の方針もありません。ですから、将軍が西欧諸国に降参されれば、その後を慕って降参する以外手段がないのです。三千年来、独立し、外国から何の束縛も受けたことのない大日本国が、突然、外国からの干渉を受けることなど、血の気が多く、義侠心に富む者としては、とても忍ぶことなど出来ません。
ナポレオンを生き返らせ、共に「フレーヘード(オランダ語で自由のこと)」と、声高く叫ばねば、今の苦しみや憤りを癒やすことは難しいものがあります。私は最初から、要駕策(藩主・毛利敬親が参勤交代のため伏見を通過する際、敬親の京都入りを説得し、幕府の失政を問いたださせようとする策)など行うべきでないことは分かっておりました。ただ、昨年来、自分の力に色々と天朝、国家のために力を尽くして努力してきたところです。しかし、どれも上手くいかず、無駄に野山獄に座るだけの日々を得ただけでした。これ以外の策をみだりに口にでもすれば、罪は一族全てに罪が及ぶこととなるかもしれません。しかし、今の幕府や諸大名らはすでに酔っ払いのようなもので、助ける術などもはやありません。草莽崛起(そうもうくっき:在野の人々が立ち上がること)を望む以外、頼みとするものはありません。けれども、私は毛利様からいただいたご恩と、朝廷のありがたい御徳は、どうしても忘れることが出来ません。草莽崛起の勢力をもって我が長州藩を支え、また天朝のご中興(衰えたものを再び盛んにすること)を補佐することができるのであれば、分を超えた行為のようではありますが、それは我が神州に大きな功績のある人というべきでありましょう。そのような人は管仲(春秋時代、斉の桓公に仕えた名宰相)に並ぶ、立派な人物といえましょう。(中略)
今のままでは神州の滅亡は間違いありません。本来の我が国にするには、劉邦や項羽、ナポレオンなどのような人物でなければ難しいことでしょう。しかしながら、今もってここに目をつける人がおりません。あなたは、人が思いもよらないような優れた見識を持つ武士です。どうか、あなたのお考えをお聞かせ頂きたいと願っております。
己未(安政六年:1859年)四月七日 辱交弟寅二白す(かたじけなくも弟としておつきあい頂いている寅次郎が申し上げる)
北山君 座下(手紙の宛名に添えて敬意を表す言葉)
私は野山獄に収監されておりますのでお会いすることは実に難しいかと思います。その上、臭く、汚い獄舎へお越し頂くのは大変失礼に存じます。しかしながら、萩へおいでになる時には、是非直接お会いし、心に思うことを全て語り合いたい、と昨年来より願い、待ち続けておりました。事を成就することは、衷心よりの願いであります。
原文掲載ページ
しかし、幕府の役人というものは、みな何の不自由もない生活に慣れたものを知らない馬鹿者や柔軟者の子弟のみであります。ですから、一人二人の心ある立派な人物がいたとしても、周囲がつまらない人物ばかりですので何もできないでありましょう。これを思えば、中国の東晋、南朝や趙、宋(すべて中国の王朝)らが国家を再建することができなかったことも時勢だったのでありましょう。ましてや徳川幕府に出来るわけはありません。幕府が存在するうちは、どこまで米国、ロシア、英国、フランスらに思うままにされるか予測することさえ難しいことであります。誠にため息ばかりです。
しかし、幸い我が国には上に心ある立派な天皇がおられます。天皇は現状に深く心を悩まされておられます。しかし、天皇を取り巻く朝廷の公家たちにはまるでシミ(衣服や書物などを食べる昆虫のこと)のように、徐々にものをそこない破る悪しき習慣があり、それは幕府の役人たちより激しいものがあります。彼らはただ外国人を我が国に近づけては、神州が汚れるというばかりです。古代の我が朝廷の雄々しく、奥深い戦略などは少しもお考えになりません。物事が上手くいかないのもこれが原因であります。諸大名にいたっては、将軍の意向を伺っているのみで何の方針もありません。ですから、将軍が西欧諸国に降参されれば、その後を慕って降参する以外手段がないのです。三千年来、独立し、外国から何の束縛も受けたことのない大日本国が、突然、外国からの干渉を受けることなど、血の気が多く、義侠心に富む者としては、とても忍ぶことなど出来ません。
ナポレオンを生き返らせ、共に「フレーヘード(オランダ語で自由のこと)」と、声高く叫ばねば、今の苦しみや憤りを癒やすことは難しいものがあります。私は最初から、要駕策(藩主・毛利敬親が参勤交代のため伏見を通過する際、敬親の京都入りを説得し、幕府の失政を問いたださせようとする策)など行うべきでないことは分かっておりました。ただ、昨年来、自分の力に色々と天朝、国家のために力を尽くして努力してきたところです。しかし、どれも上手くいかず、無駄に野山獄に座るだけの日々を得ただけでした。これ以外の策をみだりに口にでもすれば、罪は一族全てに罪が及ぶこととなるかもしれません。しかし、今の幕府や諸大名らはすでに酔っ払いのようなもので、助ける術などもはやありません。草莽崛起(そうもうくっき:在野の人々が立ち上がること)を望む以外、頼みとするものはありません。けれども、私は毛利様からいただいたご恩と、朝廷のありがたい御徳は、どうしても忘れることが出来ません。草莽崛起の勢力をもって我が長州藩を支え、また天朝のご中興(衰えたものを再び盛んにすること)を補佐することができるのであれば、分を超えた行為のようではありますが、それは我が神州に大きな功績のある人というべきでありましょう。そのような人は管仲(春秋時代、斉の桓公に仕えた名宰相)に並ぶ、立派な人物といえましょう。(中略)
今のままでは神州の滅亡は間違いありません。本来の我が国にするには、劉邦や項羽、ナポレオンなどのような人物でなければ難しいことでしょう。しかしながら、今もってここに目をつける人がおりません。あなたは、人が思いもよらないような優れた見識を持つ武士です。どうか、あなたのお考えをお聞かせ頂きたいと願っております。
己未(安政六年:1859年)四月七日 辱交弟寅二白す(かたじけなくも弟としておつきあい頂いている寅次郎が申し上げる)
北山君 座下(手紙の宛名に添えて敬意を表す言葉)
私は野山獄に収監されておりますのでお会いすることは実に難しいかと思います。その上、臭く、汚い獄舎へお越し頂くのは大変失礼に存じます。しかしながら、萩へおいでになる時には、是非直接お会いし、心に思うことを全て語り合いたい、と昨年来より願い、待ち続けておりました。事を成就することは、衷心よりの願いであります。
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