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私は天保元年、庚寅(こういん)元年(1830年)に杉家に生まれた。その後成長して、吉田家を継いだ。甲寅(安政元年)に罪を得て獄へ入った。夢に神が現れ、一枚の名刺を差し出された。それには「二十一回猛士(にじゅういっかいもうし)」とあった。夢から覚め考えるに、杉の字には二十一の形がある(注:松陰の実家は杉家。「杉」の字を分解し「十」「八」「彡(三)」の三つの数字に見立て、合算すると「二十一」になる)。吉田の字もまた二十一回の形がある(注:「吉」の字を分解すると「十一」と「口」になり、「田」の字を分解すると「口」と「十」になる。 これらを強引に組み立て直すと、「十一」と「十」、あわせて「二十一」、 「口」と「口」をあわせて「回」になる)。私の名前は寅(次郎)である。寅は虎である。虎の徳性は猛きことである。私の身分は低く、体は虚弱である。だから、この虎の猛々しさを師とするのでなければ、どうして立派な武士となることができようか。できはしない。

私は生まれてこのかた、猛々しい行動をとったことがおよそ三回ある(一回目は、東北旅行のために脱藩したこと。二回目は、藩士としての身分をはく奪されたにもかかわらず、「将及私言」など上書を藩主に意見具申したこと。三回目は、ペリー来航時に密航を試みた「下田渡海」をさす)。それで罪を得たり、非難され、今は獄に入れられ再び猛を行うことが出来ない。そして、猛のまだ成し遂げていないものは十八回ある。その責任もまた重いのである。神はおそらく、私が日々弱くなり、微力となって二十一回の猛を成し遂げられないことを恐れ、天意として私を啓発してくださったのであろう。とすれば、私が志と気を合わせ養うこともやむを得ないことである。


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